こんにちは、BabyJです😊。
以前、ちょっと書きましたが、会社での私の所属部署はとても不思議なのです。
朝の仕事開始前も、仕事中も、水を打ったようにシーンと静まり返っているのです。私語は一切なし。
ランチタイムも、自分の席で仕事をしながら、または、PCでネットをしながら、スマホをいじりながら、黙々とお弁当を食べるのです。
隣の人とさえ一言も話さずに。
人間関係が希薄になっていると言われるこの頃、職場のコミュニケーションについて考えてみました。
かつてない職場のゼロコミュニケーション
私は今まで、何度か転職をしています。そして、今の会社に入ってからもいろいろと異動しています (組織変更が多い)。
最初は、英語事業を行う部署で、私のように中途採用や外国人達ばかりの中、和気藹々と楽しくやっていました。
だから、今の部署に異動になって、フロアの状況に驚いたのです。
今の部署の人たちも、トイレや給湯室では、普通におしゃべりしたり、笑ったりします。それなのに、席についた途端、水を打ったように静まりかえり、コミュニケーションゼロ状態になるのです。
職場のゼロコミュニケーション、原因は?
私はずっと不思議に思っていました。何故、皆、静まり返っているのだろうか、と。
トップに立つ人が、ピリピリと神経質な人だったらわからなくはないのです。けれどもそうではありません。上司は気さくで穏やかで明るい人なのです。
では、一体、何がそうさせるのでしょう。
あのフロアの雰囲気や文化を決めているものは何なのか?席につくと全員が、自動的におし黙る文化の元は何か?
観察してみても全くわからないのです。
ゼロコミュニケーションでも孤独というわけじゃない
ちょうど、数日前の「ためしてガッテン」で、人と交流のない人は寝たきりになる確率が日常的な交流のある人の数倍になるという紹介をしていました。
これは、科学的なデータに基づくものです。
イギリスでは、これを真剣に捉え、孤独問題解決のための、「孤独担当大臣」までいるのだそうです。
けれども、「孤独」というのは、本人が「孤独である」「一人ぼっちだ」と認識して、それを寂しいとか辛いとか、ネガティブに捉える場合のコンセプトのような気がします。
本人が、人と関わる欲求や必要性や感じていなければ、それは「孤独」ではないのです。
職場のゼロコミュニケーション何が得なのか?
そもそも今のような状態になったきっかけは全くわからないけれども、フロアの人達は、「これは会社用の自分」と決めて割り切っているような気がするのです。
会社は仕事だけをするところ。面倒な私語や関わりは全て省き、仕事だけに集中する。全ての無駄を排除して、能率的、効率的に仕事をこなして帰る。
帰ったら、普通の人間としての日常生活がある
そんな完璧なまでの割り切りと区別があるのではないかと思うのです。
けれども、仕事って、目の前の「仕事・業務」をこなせばいいのではなく、人との関わりが重要なのではないのでしょうか。
それに、無駄の中から、何か良い閃きとか、仕事の潤滑油的なものが生まれたりもするものではないのかと思うのです。
合理的に、仕事だけ、面倒な交流は排除、としてしまうのは、結局は、逆に得るものが少ない気がするのです。
ゼロコミュニケーション文化に対抗
部署内の私の所属するチームは、海外からの人材採用担当で、フロアの端っこにあります。
海外の取引先が間違いだらけの書類を送って来たり、信じられない履歴書が送られ来たりが日常茶飯事です。
なので、解決策を皆で話し合いながらやらなければ、仕事が進まないのです。
この候補者はこんなことを書いているからどうしようかとか、こんな問い合わせがあったからどう対応しようとか、常に会話をしながら仕事をしているし、おしゃべりもするのです。
あまりにいろいろおかしなことが起きるので、驚いたり、笑ったりせずにはいられないのです。
わーわーと話をしているのは私達だけなので、フロアがシーンと静まり返っているほど、とても目立ってしまいます。
でも、周りがそうだからと行って、無理に合わせて、一緒に沈黙する必要はないのです。
職場のコミュニケーションは大切な潤滑油だし、コミュニケーションスキルは、不可欠な仕事の能力でもあるのです。
それに、コミュニケーションは、職場や仕事を超えて、自分の狭い世界を拡げてくれる。
黙って仕事だけこなすより、周りの人達とコミュニケーションを取りながら、ストレスを溜めずに、気分良く仕事をしたいと思うのです。
ではでは😊👍🏻。