こんにちは、BabyJです😊。
超人気社会派ブロガー、ちきりんさんの本「自分のアタマで考えよう 」を読みました。
その中で、組織で成功する人材の条件は2つであると書いてありました。それは、「我慢する力」と「空気を読む力」です。
確かにそうだと思いつつ、両方ないのに組織で働く私としては、最初はショックだったのでした。
が、よく考えたら、それはちょっと違うのじゃないか、と思ったのです。確かに、空気は読むことは必要だけれど、我慢は必要ないと私は思うのです。
今日は、我慢する力と空気を読む力について考えたいと思います。
組織で成功するには、「我慢する力」と「空気を読む力」が必要?
「自分のアタマで考えよう 」の中で、ちきりんさんは書いています。
組織には、「時代錯誤や様々な理不尽」が存在するので、それに耐える力、我慢する力が必要になるのだ、と。
例えば、「仕事が終わっているのに、上司の帰りを待たなければいけない」とか「制度上認められてはいるけれど、有給休暇は自由にとってはいけない。」など、理不尽な習慣や矛盾に耐えなければならないのです。
空気が読む力が低いと、組織の暗黙の掟や文化、上層部が望む流れにお構いなしに「青臭い正論を振り回す」などして、和を乱すのです。
彼らは業界に長く残る(多くの場合、珍妙な)暗黙の掟について公の場で堂々と質問してしまったり、エライ人の多い会議でも上司の顔色ひとつ読まずに正論を発したりしてしまいます。これでは、あうんの呼吸を重んじる伝統的な日本の組織では大きな摩擦が生じます。
(ちきりん著「自分の頭で考えよう」)
なんだか、まるで私みたいだと思いました。
私も、伝統的な日本の組織である会社で、上司の顔色ひとつ読まずに、質問したり、正論を発したりしています。
我慢できない、空気が読めない、はニートかフリーター
ちきりんさんはさらに書いています。
「空気を読む力は高いけれど、我慢する力が低い人たちは、起業家やフリーランスなど自由人として生きるのに向いています」と。
社会や市場の「空気を読む」力はあるけれど、「自分がくだらないと思うことを我慢するのは人生の無駄使い」と感じているからだ、というのです。
確かにそうですね。
この場合の「空気を読む」対象は、職場での場の雰囲気というより、広く「社会を」読むということになると思います。
そして、我慢強いけれど、空気が読めない人は、ワーキングプアに追いやられ、我慢する力も空気も読めない人は、ニートかフリーターとして生きていくのだとのこと。
私は我慢もできないし、空気も読めないからニートかフリーターになる運命かな。
以下の図のとおり (ちきりん著「自分の頭で考えよう」より)
空気を読む態度・行動、外国人は?
「空気を読む」とは、「その場の雰囲気から状況を推察する。特に、その場で自分が何をすべきか、すべきでないかや、相手がして欲しいこと、して欲しくないことを憶測して判断すること (デジタル大辞泉より)。」です。
判断するだけでなく、その判断によって行動する、または意図的に行動しないという対応が含まれます。
これは日本に特有の文化ではないのか、と思ってしまうのですが、英語にも「空気を読む」という表現があります。
空気を読む;
read the situation
sense the atmosphere
take a hintなど
(英辞郎より)
会社の外国人 (アメリカ人) はどうか、というと、皆が期限に追われてテンテコ舞いしていても、自分から手伝おうか、と声をかけて来ることはないし、定時には帰ります。
声をかければ、手伝ってはくれますが、時間が来たら、「時間だから」と、お願いした仕事が中途でも帰ります。これは会社の一部の外国人の行動なので、全ての外国人がそうだという訳ではありませんが。
ただ、これは空気を読む・読まないというよりも、文化や考えの違いでもあるのです。
日本人の上司が「協力的でない」と注意をした際、「人の責任範囲に立ち入ってはならない。自分の仕事を終えるのが自分の責任だ」と言っていました。
以前視聴した、オンラインスクールSchooでの、日本と海外の働き方比較の講座でも、同じことを言っていたと思います。
組織では、空気を読むことは必要
どんな組織にも、暗黙の掟や、政治、文化は存在します。
例えば、事業方針や業務の運営方法を決める会議などで、「ある提案」や、「ある方向」で決定しようとする空気が感じられることがあります。
その空気とは、エライ人や実権を握る人が推している提案や方向である場合もあるし、なんとなく何故かそうなっている場合もあります。
そして、皆がそれを感じ取っていて、質問したり、異論を唱えたりすることが憚られる雰囲気があるから、誰も何も言わない、というようなこともあります。
皆が「空気を読んでいる」のです。
組織に所属している以上、それは必要なことです。空気を読むことは、人間関係を円滑に進める上で必要不可欠なスキルだと私も思います。
組織で我慢する力は必要か?
確かに、組織には様々な時代錯誤や理不尽が存在するし、その中で生きるには、それを受け入れていかなければなりません。
けれども、それらに「我慢する」必要はないのではないでしょうか?むしろ、我慢することは良くないことだと私は思うのです。
おかしいと思うことを我慢して飲み込んだり、おかしいと思うのに黙って従ったり、ということが日常的に続いたら、ストレスで精神を病んでしまいそうです。
我慢は必要ない|何があっても楽しむ方が勝ち
我慢するよりも、組織の時代錯誤や理不尽を、面白いものとして、ひとごとのように楽しんでしまった方が良いと思うのです。
私の会社でも時代錯誤や理不尽は山ほどあります。
有給休暇を取るのに、理由を報告する義務はない、と労働基準法で定めているのに、どこに行くかまで尋ねられます。
自分の仕事が終わっても、皆が残業していたら帰ってはまずい空気があります。
準備が整っていないのに事業がスタートすることもあります。現場の実状はお構いなしに、上層部が全てを決めてしまう中で、ただ盲目的にその方針に従って、業務を進めなければならなことも多いのです。
それを真剣に受け止めて、疑問や矛盾を感じながら我慢して耐える人は心を病んだりします。
それよりも、面白いドラマのように楽しんでしまえば良いのです。
そういう姿勢でいると、何があっても動じずに、淡々と受け入れて対応できるし、元気にやっていけるのです。
空気を読むことは必要だけど言うべきことは言おう
組織に所属している以上、進もうとしている方向を受け入れて、従わなければなりません。
けれども、そこに我慢やストレスが生じるのは良くありません。
その提案なり方向の中身がちゃんと論じられていて、何故そこに持っていくかの理由が明確になっていて、疑問もないのなら良いのです。つまり、空気の正体がちゃんとわかっているなら良いのです。
けれども、そこが曖昧なまま、空気だから従う、といことも多いように思います。
そして、それが我慢やストレスに繋がるような場合は、反対意見や提案をきちんと言った方が良いと思うのです。
進める提案や方向をちゃんと理解することが必要だからです。その上で従った方が、精神衛生上良いですよね。
疑問を晴らして、言うべきことは言った上で、「本当はAがベストだけど、エライ人が推してるからBを選ぶ」という方向を受け入れれば良いのです。
つまり、納得しなければ受け入れないというスタンスではないけれども、言うべきことはちゃんと言うということです。
我慢が必要ない体制づくり
ただでさえ、ストレスのたまる会社生活。
できるだけ、我慢したり、人の顔色をみて立ち回るのは最低限にしたいですよね。
けれども、皆が黙っているのに意見を言うというような、皆と違う行動をする方がストレスになる、という方も多いかもしれません。
それならそれでいいのです。
でも、言うのを我慢してストレスをためている方の背中を押したい気持ちなのです。
ずっと今の会社に勤め続けるのではない限り、言うべきことは言って、空気の正体を見極める姿勢を持つことは大切です。
どんな組織でも、フリーランスでも、ちきりんさんの言うとおり、「自分の頭で考えて」ものごとを理解することは不可欠だからです。
我慢しなくていい体制を作ってしまえば、ストレスにはならないどころか、ストレス発散になります。
いつも意見を言うキャラになってしまう、この人は言う人だから、と思わせてしまえば、意見を言うことも気楽だし、波が立つこともないのです。
私がまさにそうで、外国人だから仕方ないと思われています。日本人ですけど。
空気を読むことは必要だけど我慢は必要ない|社内フリーランスになる
組織の階段を登りつめて、組織で成功したい方は、きっと我慢できるし、我慢して、組織の文化にしっかり根を下ろしていくのでしょう。
そうではなくて、会社の仕事は人生の要素の1つに過ぎない、というスタンスの方は、なるべく会社ではストレスをためない姿勢でやっていった方が良いと思うのです。
以前も書いたのですが、やはり、会社で我慢することなしに、自由に生きる道は、会社で自分にしかできないことを作ることだと思います。
あのラーメン屋の親父は、ぶっきらぼうで愛想が悪いけど、ラーメンが超美味しいから、食べに行く。そんなラーメン屋の親父になるのです。
つまり、社内フリーランスのようなものです。
空気を読むこと、読めることは必要だけれど、我慢は必要ないと思うのです。
ではでは😊👍🏻。