こんにちは、BabyJです😊。
私は、Facebookを初めて3年くらい。今では、なくてはならないコミュニケーションツールとして、生活の一部になっています。
けれども、Facebookの交流には、とてもありがたい点となんだかおかしいんじゃないかと思う点があります。今日は、Facebookをやる意味について考えたいと思います。
Facebookをやる意味|Facebookで繋がる、拡がる人間関係
私は、最初はTwitter派でした。
けれども、Twitterはニックネームでのやりとりが基本。交流する相手の性別も年齢も素性もわからないままでの交流になる場合が多いのです。
一方のFacebookは本名が基本。基本的に、相手の素性 (?) をある程度知った上で、交流することができます。そんな理由から、Facebookを始めました。
最初はほとんど交流の相手がいなかったけれど、ふなっしーや、好きなブラックミュージックのコミュニティーに参加したことをきっかけに、芋づる式に、繋がりが増えていきました。
それらのコミュニティーが主催するイベントなどに参加したり、イベントでまた新たに人と知り合ったり、とFacebookから始まった友人関係がリアルの場で拡がっていったのでした。
Facebookをやる意味|共通の興味を持つリアルな友達との出会い
同じような年齢で、同じ頃、同じようなブラックミュージックを聴いていた人達。ふなっしーの良いところや尊敬すべきところを知っていて、どれほどふなっしーが好きかという気持ちを共有できる仲間。
普段の会社生活では、出会うことのない、共通の興味を持つ同世代の人達。Facebookを通じてそうした人達と簡単に繋がることができたのです。さらに、繋がるだけでなく、そこから、発展してリアルに交流することができたのです。
Facebookをやる意味|意見の交換や本音のアドバイス
Facebookには、ポジティブなことしか投稿してはいけないような雰囲気があります。だからレア充を誇示するような投稿が目立ちます。
けれども、私はなんでも正直に言わねばいられない性格であることもあり、日々の仕事生活や日常生活で困ったことや事件、悩みなども投稿していました。
そして、投稿することによって、いろいろな人から、意見や共感がもらえました。それが、大きな励みにもなったのです。
このブログを始めてからは、記事内容について、忌憚ない意見や提案、励ましなどももらえているのです。それは、ブログを運営していく上で、とても良い気づきや改善のための参考にもなっています。
Facebookをやる意味|名刺や履歴書代わり
そしてまた、Facebookは、自分を知ってもらうための名刺や履歴書代わりにもなるのです。
自分が今まで何をしてきて、日常生活では、何をして何を考えているのかを友達や知り合いになった人に知ってもらうことができるのです。
自分はこういうものです、と開示することは、人との関係を築く上で、相手に安心を与えることにも繋がるのではないかと思います。
また、リアルで知り合った相手がどんな人かを、Facebookのプロフィールから知ることができるのです。
Facebookをやる意味|友達の近況を知る
また、友達や知り合いは最近、どうしているかな?と思った時に、相手の今をFacebookで確認することができます。
手術をすると言っていた友達は、その後、大丈夫だろうか。仕事がきつくて辛いと言っていたあの人はどうなっただろうか。婚活中の友人は、その後、うまくいっているのだろうか、など、気になったらFacebookを確認し、知ることができるのです。
Facebookのおかしなところ|表面的な励まし
役立つ点良い点が複数ある一方、Facebookでの交流には、とてもおかしいと思う点もあります。
誰かが何かに悩んでいる投稿を読むことがあります。けれども、何で悩んでいるのかは、書かれていないので全くわからないのです。
それでも、多くの人達が、それは何であるのかについては決して触れないまま、「元気を出して」「大丈夫?」と励ましているのです。
何だかわからないまま、表面だけで励ますことで、本当の励ましになるのでしょうか。
また、もう1つは、良く目にする「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」という投稿とやり取り。
日常の関わりがなく、会うこともないのに、「今日もよろしく」というのは、何をよろしくなんでしょう?
これに限らず、背景事情や本当の状況を知らないまま、とりあえず、励ましたり、褒めたりと、Facebookでは、表面だけの言葉のやりとりが行き交う場面が多いのです。
Facebookをやる意味|何が大事なのか?
ちょっとした隙間時間にやっていることだったとしても、毎日、Facebookをチェックして、投稿を読み、コメントすることは、チリも積もれば山となるで、多くの時間と労力を割くことになります。
それが、本当の意味での交流で、リアルな人間関係に繋がるならば、意味のあることだと思うのです。けれども、ただ「繋がっていたい」ために、「いいね」をしてもらうために、日常会うことがない人と表面的なやりとりだけを続けることに何の意味があるのでしょう。
単なる時間の浪費ではないかと思うのです。
そうした時間は、本を読んだり、ニュースを読んだり、勉強したりするために使える時間ではないのでしょうか。
Facebookをやる意味|リアルな交流のために
表面的に当たり障りなく交流するのが、Facebookの暗黙のルールだからでしょう。
そんな中で、本音かそれに近い投稿やコメントをする私は異端児で間違っており、皆からルール違反として批判の対象になるのかもしれません。
それでも、私は、これからも、Facebookを、リアルな交流ためのコミュニケーションツールとして捉えていきたい思うのです。
表面だけのやりとりで「繋がっている」という仮想の安心を得る必要はないし。リアルな人間関係に繋がる交流でなければ意味がないと思うのです。
Facebookに対する考えはひとそれぞれだと思うから、これは、あくまで私の考え&ポリシーですけれど。
後記
あとでトップアフィリエーター河井大志の書籍の中に以下の文章を見つけました。
Facebook特有の傾向
Facebookでは、匿名性が皆無のため、他人を批判する投稿などはほとんどありません。これらの意見が逆に批判の的にならないために、自分が少しでも悪者になるような投稿をすることはありません。逆に、実名を開示しているため、自分をよく見せようという投稿や「いいね」が目立ちます。
心から納得です。
ではでは😊👍🏻。